本記事は能登半島地震の起きた翌月、2024年2月に東京で開催された復興支援イベントの様子を取材した記事です
2024年1月1日16時10分。
新たな一年の始まりの日。 いつもと変わらない、優しくて平凡な一年が始まろうとしていたその時、能登半島を未曾有の 大地震が襲った。
内閣府発表の被害状況の報告によると、2024年2月22日現在、死者 241名、負傷者1,297名、倒 壊や浸水など、なんらかの被害を受けた家屋は76,257棟にものぼり、今も尚、12,000人以上の 方々が避難生活を余儀なくされている。
今回の地震の被害が大きかった石川県輪島市は、室町時代に始まり数百年の歴史を誇る、日本 の伝統工芸品「輪島塗」の産地である。 そして、輪島の地には、輪島塗を生み出すために心をつくし、手を動かし続けてきた、たくさ んの職人たちが暮らしている。
その中でも、塗師屋(ぬしや)と呼ばれる役割がある。 輪島塗の工程に関わる職人たちを束ね、企画・販売を含め全体のプロデュースをするのが主な 仕事だ。中には自ら職人として携わりながら、この役割をこなす方もいる。
輪島塗が完成するまでには、実に120以上の工程がある。 それぞれの工程を職人たちがバトンリレーで繋ぎ、時間と手間をかけて一つの漆器を丁寧に作 りあげる。
漆を塗るお椀などの木工品を作る、木地師(きじし)。 「地の粉(ぢのこ)」と呼ばれる、輪島特産の珪藻土で作られた下地を塗る下地職人。
その表面を、砥石で滑らかに研ぐ研師(とぎし)。 そこに、漆を塗り重ねる、中塗師、上塗師。 漆器の表面を炭で平滑に研ぎ、美しい光沢を生み出す呂色(ろいろ)師。 そして、蒔絵や沈金(ちんきん)などの装飾を施す蒔絵師、沈金師
輪島塗の作品たち。下地や漆を何層にも丁寧に塗り重ね、たくさんの職人たちの手を経て、一つの作品が出来上がる(写真提供:藤八屋)
今回の地震で大きな被害を受けた藤八屋(とうはちや)さんの本店は輪島市にある。 明治時代の創業で、業務用漆器を主として手掛けてきた、老舗の塗師屋さんだ。 藤八屋3代目の塩士正英(しおじ・まさひで)さんは、塗師屋としての役割を担いながら、自 らも上塗師として、輪島塗のバトンを受け継いできた職人の一人だ。
藤八屋さんのお店が地震により大きな被害を受けたのは、今回が初めてではない。 2007年に起きた能登半島地震では明治の蔵、店舗、倉庫などが全壊。 その後、3年かけて再建した本店は、今回の地震による火災で全焼してしまった。
輪島市山本町にある工房兼自宅は全壊を免れたが、屋根瓦は飛び、壁は崩れ、家の中は足の踏 み場もないくらいに漆器や物が散乱している状態だった。 そんな中で、塩士さんご夫婦は無惨な爪痕の残る現場に通いながら、なんとかして輪島塗の生 産を再開させようと、日夜、心をつくしてきた。
地震により避難を余儀なくされた職人たちの中には、輪島を離れた人も少なくない。そして、 まだその居場所がはっきりと掴めない仲間もいる。そんな状況の中で、塩士さんご夫婦は「今 できることを」と、自らも様々な場所に足を運びながら、震災の翌月に控えた東京での展示会 にむけて、準備を進めてきた。
2024年2月中旬。 東京都・千代田区にある東京国際フォーラムの地下ロビーで開催された「いしかわ伝統工芸フ ェア」には、様々な世代が訪れ、終始賑わいを見せた。 多くの日本人が、今回の地震の報道を見て居ても立ってもいられず、何か自分にできることは ないか、と感じていることが伝わってくる。
人の波をかき分け、展示場中程にある藤八屋さんのブースまでたどり着くと、そこにもたくさんのお客さまが訪れていた。 そして、ブースの壁には、まるで戦後の風景かと見紛(みまご)うような、生々しい被災直後 の写真が飾られていた。
本店が全焼し、黑焦げになった瓦礫の山の中で立ちつくす塩士さんご夫婦。 漆器が散乱した自宅兼工房内の、見るも無惨な写真。
震災から1ヶ月半。 時間の経過とともに、我々の記憶は薄れ、希望的観測にばかり焦点を当て、いつしかあの大地 震も過去の記憶となりかけていたことを、写真を目にしながら改めて実感する。
そして、藤八屋さんのブースには、まだ漆が塗られていない、木肌のままのお椀やお盆たちの 姿があった。 震災後、道具も揃わず、工房も自宅も、作業ができる、住める状態とは程遠い状態の職人さん たちが多い中で、今すぐ売れるものを作るのは難しい。
しかし、塩士さんは諦めなかった。 同じ石川県の伝統工芸品である山中塗(やまなかぬり)の木地師さんの元を訪れ、木地見本の 制作をお願いしたのだ。 展示会でこの木地見本を展示し、注文を受けることで、今すぐに納品はできないが、お客様に商品を買っていただく方法を見出した。
そして藤八屋さんのブース内には、その場ですぐに購入できる漆のスプーンやフォーク、箸に 混じって、震災を生き抜いた一点物の漆器たちの姿があった。
今はたった一点しかないこの漆器たちが、多くの職人たちの手で再び蘇り、人々の日常を彩 り、世代を超えて大切に使い続けられていくには、もう少し時間がかかるのかもしれない。 それでも、塩士さんは決してあきらめず、今できることに一つずつ向き合い続けている。
今回、私はこの展示会で漆塗りのスプーンを購入した。 漆塗りの商品としては決して高額なものではないと思うが、私にとっては勇気のいる金額でも あった。 職人一人一人が思いを込めて関わり、バトンを繋ぐ中で丁寧に作られたものを、日々の生活の中で味わいながら、大切に使う。 私個人ができることは、まずはそこからなのかもしれない。
そして、今回の地震で被災した職人たちをバックアップしようと、日ノ本文化財団でもプロジ ェクトチームを組み、様々な動きが始まっている。
具体的には、職人が失ってしまった大切な道具の代わりになる物や、作品を作るために必要な 資材を集めようと、全国の職人・企業に向けて、寄付の呼びかけを行っている。 また、輪島塗のEC物販サイトを立ち上げようと、震災を免れた漆器たちや、注文を受けるため のサンプル品を集め、職人たち復興のための経済的基盤を作るサイト構築を、突貫で進めてい る。
私たちそれぞれが、今できることを。 各々が自分の頭で考え、結論を出し、行動することで、点と点が繋がり、その結果大きな流れ へと変わっていく。 その一端に、自分も加わることができればと、今回、被災した職人さんたちのことを、逆境の 中で未来を見据え、一歩ずつ前へと進み続ける彼らの物語を、一人でも多くの方にお伝えでき ればと思っている。
(文・写真:パーソナルライター おくやま・ふみ)
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