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日枝神社の歴史:山王信仰と変遷
山王信仰の起源と日枝神社の創建
日枝神社は、山王信仰に基づいて全国各地に勧請された神社の総称です。山王信仰とは、山王神(大山咋神)を祀る信仰で、古くから日本各地に広まっていました。
日枝神社の起源は、奈良時代にまで遡ります。神亀5年(728年)、聖武天皇の命により、山王神の化身とされる山王権現を祀るために、近江国伊香郡(現在の滋賀県長浜市)に山王大社が創建されました。山王大社は、山王信仰の中心地として栄え、全国各地に多くの分社が勧請されました。
日枝神社の勧請と変遷
関東地方における日枝神社の勧請は、平安時代初期に始まりました。武蔵国(現在の東京都・埼玉県・神奈川県)には、8世紀頃に秩父氏によって日吉神社が勧請されたと考えられています。その後、鎌倉時代になると、江戸氏や太田道灌などによって、江戸周辺にも日枝神社が勧請されました。
江戸時代に入ると、徳川家康は江戸城の守護神として日枝神社を深く信仰し、山王祭を江戸三大祭の一つとして盛大に行いました。家康は、江戸城内に日枝神社を勧請し、寛永12年(1635年)には現在地に遷座しました。現在の社殿は、1657年の明暦の大火で焼失後、寛文9年(1669年)に再建されたものです。
明治時代以降、神仏分離令などの影響により、日枝神社の役割は大きく変化しました。しかし、日枝神社は地域の氏神として崇敬され続け、山王祭は今日まで継承されています。
日枝神社は、山王信仰に基づいて全国各地に勧請された神社の総称です。長い歴史の中で、山王信仰の中心地として栄え、江戸時代には江戸三大祭の一つとして盛大に行われました。現在も地域の氏神として崇敬され、山王祭などの伝統行事を通して、人々の信仰を集めています。
山王祭の歴史:山王信仰と江戸時代における発展
山王信仰の起源と日枝神社の創建
山王祭は、山王信仰に基づいています。山王信仰とは、山王神(大山咋神)を祀る信仰で、古くから全国各地に広まっていました。
日枝神社は、山王信仰の中心地の一つとして、平安時代初期に創建されました。当時は「山王宮」と呼ばれ、武蔵国の守護神として崇敬されていました。
江戸時代における山王祭の盛況
江戸時代に入ると、日枝神社は江戸城の守護神として崇敬されるようになり、山王祭は江戸三大祭の一つとして盛大に行われるようになりました。
徳川家康は、幼少期に日吉大社で過ごしたことから、日枝神社を深く信仰していました。家康が江戸城に入ると、日枝神社を江戸城内に移転し、山王祭を江戸の重要な行事の一つとしました。
山王祭は、神輿や山車、稚児行列など、様々な見どころがあり、江戸の庶民の間でも大変人気がありました。
近現代における山王祭の変化
明治時代以降、神仏分離令などの影響により、山王祭の規模は縮小しました。しかし、日枝神社の氏子や地域住民の努力により、山王祭は今日まで継承されています。
近年では、山王祭の伝統文化を継承しながらも、現代的な要素を取り入れた取り組みも行われています。例えば、山王祭の様子をインターネットで中継したり、外国人を対象とした山王祭ガイドツアーを実施したりしています。
山王祭の見どころ:華麗な行列と伝統芸能 (今年令和6年6月7日~6月17日まで)
山王祭には、様々な見どころがあります。中でも注目したいのが、以下のものです。
- 神幸祭: 神輿や山車が、日枝神社から皇居周辺を練り歩く華やかな行列です。神幸行列
●稚児行列: 可愛らしい衣装を身にまとった子どもたちが、神輿を曳く行列です。稚児行列
●奉納芸能: 神楽や雅楽など、様々な伝統芸能が奉納されます 行事日程
●山王嘉祥祭:和菓子のお祭り 山王嘉祥祭和菓子の祭り
まとめ
山王祭は、1000年以上の歴史を持つ伝統的な祭りです。山王信仰と江戸時代における発展を背景に、華麗な祭典が繰り広げられています。近年では、伝統文化の継承と現代化の両立を目指した取り組みも行われています。今年はまさに今行われておりますので、ぜひ伝統と文化を楽しむ機会にしていただけますと幸いです。境内では伝統芸能や和菓子のお祭りに華道や屋台が楽しめます。
参考 日枝神社ホームページ https://www.hiejinja.net/
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